童謡「赤い靴」歌詞の本当の意味知っていますか?

小さい頃、何度ともなく
耳にした童謡「赤い靴」

子どもの時は、何気に聞いていました
ある時、お友達から

「赤い靴の女の子は悪いことをして
お父さんたちが怒って外人さんに
女の子をあげってしまったんだよ。
と聞かされました。

当時、まだ小さかったので両親に
怒られた時、外人さんに連れていかれたら
どうしようと!!と怖い思いをしました。

大人になりふっとそんなことを思い出し
どんな歌詞だったかな?
とはっきり思い出せないので調べました。


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童謡「赤い靴」の歌詞

(一)
赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

(二)
横浜の 埠頭から 汽船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

(三)
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

(四)
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

(五)
生まれた 日本が 恋しくば
青い海 眺めて いるんだろう
異人さんに たのんで 帰って来

作詞:野口雨情    作曲:本居長世

はじめて知りましたが5番までありました。

女の子が一人で知らない土地に
連れられて行った
その後を思う歌だったんです。

本当に悲しい歌ですね。

 

赤い靴の女の子は実在した!!

歌詞を見ても悲しい歌だなって思うんですが

実際、もっと悲しい物語がありました。

赤い靴の女の子が実在
宣教師夫婦に預けられアメリカに渡っていたのです。

 

なぜ預けられたのか?

モデルとなった女の子の名は

岩崎 きみ さん

明治35年に横浜で生まれたそうです。

母親は18歳未婚の母として
きみさんを産みました。

両親もすでに他界し、身内がいないなか
周囲からは未婚の母とはふしだらな!!
と白い目で見られていたそうです。

親子はそんな目から逃げるように
北海道に移住したそうです。

母親は土産店で働きながら
きみを育てていました。

そんな中で男性と出会います。
その男性はきみがいること
承知の上、結婚を申し出てくれました。

しかし結婚後、開拓に参加しないか
と声をかけられ夫は参加することに。

しかし、そこは極寒の土地で
オオカミや熊がいるような危険な場所

そんなところに、身体の弱かった
きみは連れては行けず

偶然知り合ったアメリカの宣教師夫妻
きみを預けることにしました。

当時、まだ4歳だったそうです。

異人さんに預けられたその後

宣教師夫婦に預けられたきみは

2人に可愛がられたそうです

アメリカには行かなかったそうです。
正確には行けなかったそうです。

なぜなら、
その当時、不治の病と言われていた
「結核」に罹ってしまったからです。

そのような状況で母国アメリカから
帰国命令があった夫妻
その命令には逆らえず

また、病気で弱った子どもを
長時間の船旅に連れては行けず
教会の孤児院に預けたそうです。

そして、きみは病床のまま
9歳で短い生涯を終えました。

そんな事とは知らない実母は
亡くなるまでずっと

今頃、きみはアメリカで大切に育てられ
幸せに暮らしているよ
きみの幸せを思っていたそうです。

まとめ

他にも、きみは初めから孤児院にいて
そこで異人さんの養女になったんだ
という説や

宣教師夫妻にはあっておらず
誘拐され異国に連れて行かれたなどの
説もあるそうです。

しかし、この赤い靴の女の子のように
親子離れ離れになる事が多かった時代
そういった中で異人さんに連れられっていた

きみちゃんはきっと幸せな人生を全うしたんだ
と思うこの詞が一番いい物語のように感じます。


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