モンサンミッシェルが世界遺産の理由は?翻弄された意外な姿!
旅好き友人たちとの、夜の、女子会でのことです。
A子『モンサンミッシェルに行ったんだけどさ。あれが世界遺産に登録された理由がよくわかんないんだけど・・・』
私『確かに!似たような感じの世界遺産なら、厳島神社だって、もっと早くに登録されても、良かったんじゃない?』
B子『は?あんたたち、あの奥深さが分かんないようじゃ、まだまだ旅好きとは言えないね。』
B子は旅行代理店勤めで、添乗員もこなすので観光名所に関しての知識は、豊富です。A子と私への、説教が始まりました。
二人で心して聞いた、モンサンミッシェルが世界遺産に登録された理由を、紹介しますね。
モンサンミッシェルとは
フランス北西部にある、ブルターニュ半島の付け根、北は、イギリス海峡に面した所にある島と、その上にそびえ立つキリスト教の教会や礼拝堂、修道院などの集合体です。
元々は孤島だったのですが、19世紀に陸につなげる、道路が造られました。
歴史に翻弄された姿
モンサンミッシェルが何故、世界遺産に、登録されたのでしょう?
世界遺産に登録される為には、前提となる条約や、国内法などをクリアした後、世界遺産の登録基準、10項目のうち、最低1つを、満たす必要があります。
モンサンミッシェルが登録された基準は、以下の項目になっています。
- 人類の創造的才能を表す、傑作である。
- 現存する、あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること。
- 人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは、建築的または技術的な集合体または景観に関する、優れた見本であること。
長い歴史の中で、修道院だけでなく色んな役割を果たさざるを得なかった、そんな意外な一面が、あるんです。
修道院として
事の始めは、8世紀初頭にさかのぼります。
モンサンミッシェル近郊の街に住む司教の夢に、大天使ミカエルが現れ、『あそこの岩山に聖堂を建てよ』と、命じました。
大天使ミカエルは、全天使たちの総指揮官のような存在として、奉られていました。
最初は、そんな夢など信じなかった司教ですが、ミカエルが三度も夢で同じ事を、繰り返すので、本物のお告げだと信じ、言われた岩山、モンサンミッシェルに、聖堂の建築を始め、以降、10世紀には修道院も、建築されました。
城塞として
大天使ミカエルの、モンサンミッシェル降臨伝説が広まったおかげで、キリスト教の巡礼地として、賑わっていたのですが、1339年に英仏の間で、百年戦争が勃発したのを機に、様相は一転します。
修道院は閉鎖され、代わりに城塞として、利用されてしまったのです。
ですが、この辺りの海は干満の差が激しく、敵も近づけなかった為、戦火の中でも、建物は、大きな被害を受けずに済みました。
研究所として
百年戦争が終わると、城塞としてのモンサンミッシェル=ミカエルのご加護という図式としてとらえられ、フランスだけでなく、ヨーロッパ中から多くの人々が、巡礼にやってきました。
と同時に、教会や修道院の再建などが懸命に行われました。
ですが、その後17世紀になると修道僧たちが住み始め、ここで学問に真剣に、取り組むようになった為、修道院は一時期、研究所のような存在になっていました。
監獄として
ところがです!
フランス革命後の18世紀に、モンサンミッシェルは、監獄として利用されるようになり、反体制派の多くの司祭たちが、囚人として送り込まれました。
というのも、16世紀の宗教戦争の際、モンサンミッシェルはカトリック側の拠点だった為、プロテスタントとは、確執があったからです。
監獄としての役割は、1863年まで続き、12,000人もの人々が収監されました。
世界遺産登録へ
その役割を終えると、小説家たちが芸術として注目した為、再度、聖地として脚光を浴び、建物の修復が始まりました。
19世紀末には、道も造られ島と陸の往来が簡単になった為、観光地として賑わったのですが、修道院が再開したのはなんと1966年と、実に最近なんです。
その後、1979年に世界遺産に登録されることになります。
おわりに
B子の説明は、夜も更けそうな勢いでした。ですが、まとめると、モンサンミッシェルが世界遺産に登録された理由は、
- 夢に出てきた天使によって、造られた建造物が、現存している。
- 怒涛の歴史の波に、揉まれているにも関わらず、建築物や、景観などが保たれている。
という結論に、A子と私の中で至りました。
でも、B子の説教は続きます。
『あ、でも道路のせいで砂が溜って本来の島っぽくなくなったから、道路を壊して、木の橋を架けたんだって。』
なので、今は逆に大潮の時を狙って本来の姿を、拝みに行く観光客が、多いんだとか。
うーん、モンサンミッシェル、思った以上に、すごい世界遺産です。