月でうさぎが餅つきする由来とは?インドと関係がある?!

満月の日の夜空に輝く大きな月。普段はじっくりと外を眺めている時間もなく慌ただしいのですが、その日に限って高校生の娘を迎えに家を出た時に月が見えたんです。

東に向かって伸びる一本道を車で走っている時、正面には満月が見えたんです。改めて見てみると、満月って迫力ありますよね。そして神秘的です。

そういえば月と言えば、小さい頃に母から聞いた月の話をふと思い出したのですが、月の模様はうさぎが餅つきをしているように見えるという話。私の場合、実は子供の頃に母にそう言われても、うさぎが餅つきしているようには見えなくて、腑に落ちなかった記憶があるんです。

でも、月でうさぎが餅つきをしている、という話にはどんな由来があるんのでしょう?月とうさぎ、そして餅つき・・・という発想が結びつかないので、不思議ですよね。

気になるのでこの機会に調べてみましたよ。


スポンサードリンク




インドの神話が月うさぎの由来

うさぎが月に居るという話の由来は、インドのジャータカ神話が有名です。釈迦が修行している時に、生きとし生けるものの教えを導いた挿話で、後のイソップ物語やアラビアン・ナイトにも影響を与えたと言われている話集です。

ジャータカ神話の中の一つに、うさぎが出てくるお話があります。どんなお話なのか見ていきましょうね。

月にのぼったうさぎ

昔インドに、うさぎときつねとさるが仲良く暮らしていました。そして、いつも3匹の話題に上るのは「なぜ自分たちは、獣の姿をしているのか?前世で悪い行いをしたため獣になってしまったのだ。」ということでした。

3匹の「これからは人のために良い行いをして、皆の役に立ちたい。」という会話を、インドの最強神インドラとしても知られている帝釈天が聞いていて、「何か良いことをさせてあげよう。」と、弱った老人に姿を変えて3匹の目の前に現れたのでした。

3匹は大いに張り切って、老人のために世話をしてよいことをしようと、さるは木登りが得意なので、木の上の果物や木の実を取ってきました。きつねは、得意な狩りで魚を取ってきたのですが、一方うさぎも必死で頑張っては見たのですが何も持ってくることができませんでした。

うさぎには、これといって食料を集めてくるような特技が何もなかったのです。すると、うさぎは老人の目の前で薪を焚き、めらめらと燃える火の中に飛び込んだのでした。

「私には何も持ってくるものがありませんでした。せめて、この身を焼いて私の肉を召し上がってください。」と老人に言いました。驚いた老人は帝釈天の姿に戻り、3匹に「お前たちの人を思う優しい気持ちはよく分かった。来世は、3匹とも立派な人間として生まれ変わるようにしよう。」と言いました。

特に黒焦げになってしまったうさぎには、「お前の行いには感心させられた。その姿を月に永遠に収めることとしよう。」と、月に焦げた姿のうさぎが残された、と言われています。

この話が「月にのぼったうさぎ」として後世に語り継がれていて、月にうさぎの姿が見えるという話の由来になっているんですよ。では、どうしてうさぎは月で餅つきをしているのでしょう?これにも諸説あります。

月で餅つきするのはなぜ?

うさぎが月にのぼった後、どうして餅つきをするようになったのか、これには中国が関係しています。

インドのお話も仏教と併せて中国を経由して日本に伝えられています。中国にもうさぎと餅つきに関する神話が多くあり、うさぎは不老不死の薬をついていると言われています。

この神話が日本に伝わり、うさぎが餅をつくという話に変化したと言われています。また、満月のことを「望月」とも言いますよね。もちづきから、餅つきに転じた説もありますが、満月がきれいに見える秋の時期は、米の収穫の季節でもあります。

米の豊作に感謝する収穫祭であった「お月見」の時に、満月を眺めてうさぎの話をしたのでしょうか、古代の人のユーモアも感じますよね。

まとめ

うさぎがどうして月にいるのか?インドの神話が由来になっていることに驚きました。

うさぎが、弱っている人のために命を差し出すという話が元になっていて、これが仏教の教えを含んだものだったというのも奥が深いものだったんだな、と感心してしまいました。

満月の夜に、月にうさぎが居て餅つきをしている由来には、命への感謝と豊作への感謝、自然への感謝があるんですね。これから月を見ると、うさぎの献身的な姿が目に浮かんできそうです。


スポンサードリンク



あわせて読みたい関連記事

サブコンテンツ

このページの先頭へ