無礼講の意味と由来!こんな振る舞いはNG?
この数年、新型コロナ感染症対策で他人との食事会や飲み会などの会合をしなくなりました。
友人との会食の場がなくなり寂しい思いをする一方、職場などでの気を遣い過ぎて疲れる飲み会に参加しなくてもよくなったというのは、本当に気が楽です。
会社の飲み会と言えば、新人の頃に同僚のとった行動で冷や汗をかいたことがありました。「無礼講」という言葉に翻弄されてか、同僚は翌日非常に肩身の狭い思いをすることになりました。
無礼講の意味、その場の無礼な行動が許される魔法の言葉だと思っている人いませんか?正しい無礼講の意味と由来について、紹介していきますね。
目次
無礼講の意味とは?
無礼講の読み方は「ぶれいこう」、意味は身分や地位の上下に関係なく楽しむ宴会のことを言います。
無礼講=礼儀を欠く言動がOKの意味ではない!
無礼講の言葉の中には「無礼」という文字がありますよね。
無礼には、礼儀をわきまえないという意味があります。それなら、無礼講であればどんな人に対しても礼儀を欠いた言動をしてもいい、ということになるのでしょうか?
答えはNOです。
無礼講の時に限って誰に対しても失礼な態度をとってもいいよ、という意味ではありません。
無礼講での振る舞いとは?
身分や役職など上下関係のある人が集まる中での会合で、この場は皆が自分の地位など気を遣い過ぎず気楽に楽しみましょう、というのが正しい無礼講の意味になります。
無礼講の意味を勘違いして、この時ばかりに上司に対して文句を言ったり、言葉遣いが乱暴になる、大声で騒ぐなどの言動は許されることではないので肝に銘じておきましょう。
それでは、無礼講とはどんな成り立ちでできた言葉なのでしょうか?その由来を詳しく見ていきましょう。
無礼講の由来とは?
日本では古来より、神事では神と人とが一緒に同じものを食べて祭りを行うことが一般的でした。神に奉納したお酒を皆で飲むなど、そういった儀式を「礼講」、その礼講の後に行われる宴席のことを無礼講と言います。
無礼講という記述がされている一番古いものは1324年の花園上皇の日記だとされ、「日野資朝という儒学者が、礼儀や秩序のない会合を開いているという。略、世間はこれを無礼講との衆だと呼んでいるようだ。」と記されています。
当時は、烏帽子や衣服の色、種類によって身分や役職を区別していました。しかし、無礼講の時には、あえて序列がわからないような服を着て身分を超えた交流を行ったといわれています。
太平記にも無礼講の記述があった
また、1370年頃に完成した軍記書物「太平記」にも無礼講のことが記されています。
後醍醐天皇が鎌倉幕府を討幕する計画を立てるため、無礼講と称して身分区別なく秘密の会議を開いた、と描かれています。
古典落語の題材にもなった
江戸時代以降に作られた古典落語の「八五郎出世」の中でも、無礼講が題材となっています。無礼講の宴席だと言われ、身分の高い人に対して傍若無人に振る舞う様子を描いたものがあります。
この古典落語が作られた頃には、無礼講が現在と同じ意味として使われていたことが伺えます。
まとめ
「今日は無礼講です。」と上司に言われた時には、「普段のように気を遣いすぎず堅苦しくしないで、楽しんでくださいね。」という意味になります。
「役職など関係なく」とは表向きは言っていますが、それは上司側から部下に対しての気遣いの定型文です。
「多少のリラックスはいいけど、無礼はダメだよ。」という意味なので、羽目を外して失礼な態度をとってしまうことがないよう気を付けないといけません。
結局のところ、無礼講なんて存在しないのかもしれません。その場の空気を読みつつ宴席を楽しむということで、気を遣うことには変わりはないようですね。気を付けましょう。