徳川家康の死因は天ぷらじゃない?有力説はコレ!
歴史が大好きな高校生の娘。定期考査の点数は、社会科で補っていると言っても過言ではないほど得意な娘なんです。歴史が好きになったのは、大河ドラマにハマったのも一つの理由。
真田幸村の生涯を通し、豊臣家の栄華と滅亡、江戸幕府を興した徳川家康の姿が印象的だった大坂の陣の描いた大河ドラマ「真田丸」は本当に面白かったですよね。
娘もドラマを見た後、その日のストーリーに出た歴史についてもっと知りたくなって色々と調べることもありました。
特に、今まで学校で習ってきた徳川家康についても興味が湧いたようで、ある日家康について調べていた娘が、「徳川家康って、天ぷらを食べたのが死因だっていうのが通説だよね?」と聞いてきたんです。
「そう言われているよね。」と答えた私も、全く疑うことのない話だと思ってました。
が、しかし!実は違うんです!娘が調べたことを聞いて、驚きの事実を知りました。徳川家康の死因は天ぷらじゃなかった?!本当のことをこっそり教えますね♪
天ぷらが死因説となった訳とは?
徳川家康が死んだのは、1616年4月17日と言われています。今までよく聞いていた家康の死因については、天ぷらを食べ過ぎたこととされていますよね。その時の様子は一体どんなものだったのでしょう?詳しく見ていきましょうね。
鯛の天ぷらを美味しそうに食べた家康
1616年1月21日、既に秀忠に将軍職を譲って隠居生活を送っていた家康は、駿府郊外に鷹狩りに出掛けます。狩りの途中で、家康は転んでしまい休養を取ることに。そこに見舞いに来た京都からの客から聞いたのが、鯛の天ぷらだったんです。
それを聞いた家康は、すぐに料理番に、鯛をすり身にして油で揚げ醤油にニラを漬け込んだタレに浸した物を作らせたんだそう。その時の徳川家康は、この天ぷらをとても気に入って、たくさん食べたと言われています。
ところが、天ぷらを食べたその晩に、家康は猛烈な下痢と腹痛に襲われて苦しみました。この天ぷら事件から約3ヶ月後の4月、家康は亡くなったとされています。
でも、天ぷらが死因という割には死ぬまでの期間が3ヶ月もあるんです。少し不自然ですよね。徳川家康の本当の死因は、別のものだったのでは?と、考えることも可能ではないのでしょうか。もっと詳しく見ていきましょうね。
病状から推察すると胃がんだった?!
この時代、ポルトガルから入ってきた油で揚げた食べ物は、かなりの高級品。当時、とっても貴重だった灯用の油を大量に使用することは庶民には考えられませんでした。
もちろん、日本人が油で揚げた食べ物を食べる習慣もないので、天ぷらを大量に食べたりしたら、胃もたれやむかつき、消化不良などを起こす可能性がありました。
徳川家康もこの時、食べなれない天ぷらを食べて食あたりを起こしたのではないか、と考えられているんです。
ましてや家康は、当時にしてみれば75歳とかなりの高齢でした。一度にたくさん消化の悪いものを食べれば、誰でも具合が悪くなるものですよね。
その後の家康の病状についても、徳川幕府の公式文書「徳川実記」にはこう記されています。「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きな腫瘤(しこり)は、手で触って確認できるくらい」と。
この病状から、現代の医師は「胃がん」の症状と似ている点から、胃がんが死因だという説が有力だと推測しているんです。
その一方で、他の記録によると、なんと家康は自己判断で病気を特定し、間違った薬を飲んでいたのかもしれないことも分かったんですよ。
水銀中毒の可能性も?!
家康は、「あの時大量の天ぷらを食べたから、きっと胃を傷付けてしまったのだろう、サナダムシのせいだ」と。当時万病に効くとされていた「銀液丹」という薬を飲み続けました。
この薬は実は水銀が主成分で、徳川家康は水銀中毒により命を落としたのではないか?という説もあるんですよ。
75歳まで長生きした徳川家康は、超健康オタクでした。天下を取るまでの長い下積みの間、家康は書物から多くを学んだことはよく知られています。
「世の物事がどうあるべきかを教え、あるいは知るには本しかない。物事の正しい道筋をみんなが分かれば、世は治まり戦いがおきる事はない。」という言葉を家康は残しています。
本からの知識には絶対的な自信があった家康は、お付きの医者の言うことには耳を傾けず銀胆液を飲んだとされています。
しかし、水銀中毒であったとしても、病状から照らし合わせると胃がんを発症していたことは大いに考えらますね。
まとめ
天ぷらがきっかけだったのか、胃がんを元々持っていたのか、あるいは水銀中毒になってしまったのか、病気の前後については不明な部分もあります。
実は、息子の秀忠、家康の孫の水戸光圀も胃がんが死因だったという説が有力視されているんです。家系的にがんになりやすい体質だったことも考えられますよね。
現代では、技術の進歩によって様々な検査で何の病気なのかわかるようになってきましたが、徳川家康の生きた時代には、まだ人体の解剖もタブーだったんですから、さぞ謎も多かったでしょうね。
江戸時代の将軍15人の平均寿命は51歳と言われています。庶民の平均寿命が30~40歳と言われていた時代にしたら、栄養状態もよかったのでしょうね。
中でもやっぱり長生きだった家康は75歳で、幕末の15代将軍慶喜77歳に次ぐ長生きです。
健康に関する知識も豊富だったのでしょうね。普段から健康に気を付けることは長生きする秘訣なんですよね。私も食べ過ぎには注意しないと。ついつい・・・の理由がが多いですから(笑)