トルコと日本の友好関係!親密になった歴史的出来事とは?

大の旅行好きの友人
ランチをする機会がありました。

今回はトルコに行ってきた友人。
そんな彼女から意外な言葉を聞きました。

トルコって、
なんだかとっても親日
なんだよ。

もしかすると、歴史的に良い関係が
有ったのかと思うくらいなの!」

街を歩いていると
しょっちゅう日本語で話しかけられたり

ニュースでは頻繁に日本に関する
ニュース
が流れているそうです。

いちばん好きな国」に挙げられる
ことが最も多い国は、日本なんだとか。

確かに、歴史的に何らかの関係が
有ったのかもしれないですね。

とはいえ、理由はわからないとのことでしたが、
とにかくフレンドリー
とても居心地がよかったのだそうです。

しかし、アジアの果ての遠い国が、
なんでそんなに親日なのか
気になったので少し調べてみました。


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こんな歴史的事件が有った!

1889年、エルトゥールル号は
イスタンブールを出港しました。

数々の困難に遭いながらも、
航海の途中に立ち寄ったイスラム諸国では
大歓迎
を受けました。

11か月をかけて翌年、
ようやく日本に到着

オスマン帝国最初の親善訪日使節団は、
皇帝の親書を明治天皇に奉呈し、
ここ日本でも歓迎を受けたのです。

なぜ遠い異国の日本に、
トルコ軍艦がやって来たのでしょうか。

その背景には、19世紀末、
欧米列強国との間の「不平等条約」
苦しんでいた共通の思いがありました。

歴史的に見て、オスマン帝国は同じ境遇の
日本との関係を模索したのでしょうね。

その結果、日本に、善隣友好
持ちかけてきました。

日本側もこれに応え、
小松宮彰仁親王が1887年に
トルコを訪問
したのです。

軍艦エルトゥールル号の日本派遣は、
その答礼のためでした。

しかし、日本にやってきた所までは良かったのですが、
出港以来の厳しい航海で船は
激しくいたんでいました。

資金不足の為に、十分な物資を調達
する事もままならない状況です。

その船は、遠洋航海にはとても
耐えられそうにもありません。

日本側は、航海が難しいと思って台風の時期が
過ぎてからの出航を勧め
たそうです。

ですが、資金的な問題もある為、
オスマン帝国側は出向を推し進めたのです。

資金面以外にも、イスラム教国に、
盟主として国力を誇示したいと思う
皇帝・アブデュルハミト2世の存在もありました。

日本に留まり続けることで
オスマン帝国海軍の弱体化を流布されるのを
危惧
したためだと言われてます。

ところが日本側の心配した通り、
台風の影響で、エルトゥールル号は、

紀伊大島の樫野崎近くの岩場に接触して、
沈没してしまったのです。

機関部が浸水して水蒸気爆発を起こした
未曾有の海難事故で、600名以上の乗組員が
海へ投げ出されてしまいました。

命からがら、岸までたどり着く事が出来た
生存者が高い断崖を上って
灯台守に助けを求めたのです。

その知らせを受けた近くの住民が、動けるものすべてが
要救助者ので救助と介抱をしました。

当時、台風の影響で漁に出られず、
蓄えも少なく、日常生活でも
倹約が必須だったにもかかわらず

村民たちは非常食や衣類を提供し
献身的に救護を務めました

その甲斐あってか、
絶望的な事故から69名が生還しました。

これを聞いた明治天皇も大いに心を痛め、
可能な限りの援助を行うよう指示。新聞も
大きく報じ、義捐金・弔慰金が寄せらました

遭難事故の20日後に、
日本海軍のコルベット艦2隻が生存乗員を
分乗
させ、

翌年1月に
オスマン帝国の首都・イスタンブールに
無事送り届けました

こんな歴史的な事件が有ったのですね。
これによって、日本とトルコの関係は
良い物になったと言えそうです。

調べてみると、他にも日本とトルコの
関係を良くしたと思える
歴史的な事件がありました。

日露戦争・日本海海戦の大勝利

日露戦争の天王山とされる「日本海海戦」。
当時開国をして50年ほどしか経っていない
アジアの小国・日本が、

大国のロシアに勝てるわけなどない
というのが世界の大方の見方でした。

これは、中学校の歴史で耳にした
記憶があります。

しかし大方の予想を覆し、
東郷平八郎率いる連合艦隊が
ロシア・バルチック艦隊を撃沈し、

海戦史上稀にみる大勝利
となったのです。

これに歓喜したのは
日本だけではありませんでした。

地理的にロシアに近く、
常にその脅威に曝されていたトルコ

そこに舞い込んできたのが日本の勝利は、
トルコでは感銘を持って受け入れられました

直接的に日本とトルコの関係が
有ったわけではないのですが、

トルコの人は、日本に良い印象を
持ったと言えそうですね。

トルコからの恩返し

1988年8月20日に停戦を迎えるまで、
8年の長きにわたって繰り広げられた
イラン・イラク戦争

その最中、在留邦人を巻き込む
深刻な事態が起きていました。

これは、ご存知の方も多いのでは
無いでしょうか?

もしかしたら、この影響を直接
受けたという人もいらっしゃると思います。

「今から48時間後をタイムリミットとして
これ以降終戦までの間イラン上空を飛ぶ
航空機はすべて撃墜
する」

サダム・フセイン大統領の突然の宣言後、
世界各国は自国民を救出するために
救援機を出し
自国へと退避させました。

しかし日本は対応が遅れ、
救援機を派遣することができません
でした。

手を尽くして各国と交渉したものの、
いずれも自国民救出に手一杯で
希望者全てを乗せてもらうことはできず。

216名の邦人が
空港に取り残されて
しまいました。

そこで日頃から親交のあった
トルコ大使館の大使に窮状を訴えました。

あの時の恩を返す時が来た
そう言って快諾してくれたトルコ側は、
即座にトルコ航空をイランに派遣し、

タイムリミット僅かの1時間15分前に
トルコ領空へ216名全員を退避させること
に成功
させたのです。

”あの時”というのは、エルトゥールル号の
事件の話だと思います。

さいごに

お恥ずかしながら、
トルコと日本の間にこんな友好の歴史
あったことは知りませんでした。

遠い昔に受けた恩を忘れずに伝えている、
そして恩返しに危機を救ってくれた
トルコの皆さん。

こんな両国の友好な関係は
きちんと知っていたい

思いました。


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